通潤橋をてがけ、全国的にも有名な石工棟梁、橋本勘五郎。明治二十六年、勘五郎が八女の地を訪れ、地元石工たちを指導しました。
肥後の種山石工集団からも技術を学び、長野石工、辺春(へばる)石工といわれる石工集団ができました。
今、八女に残っている石橋のほとんどは、彼らによって、明治時代から大正時代に架けられたものです。
洪水のたびに木の橋が流されるため、村民が浄財を出し合い「洪水にも流されない耐久性のある石橋を作って欲しい」と役場へ交渉。
その熱意が通じたのでしょう、当時七十歳を超えていた勘五郎が大勢の種山石工集団を引き連れ、八女の地へ。その経験と技術を注ぎ込んで洗玉橋ができあがりました。
今から8万年前、阿蘇山の大噴火による火砕流は、九州一円を覆い、八女にも流れてきました。
それがこの地で堆積したのが「長野石」と言われる阿蘇凝灰岩。
それほど硬くなく、加工しやすい石なので、八女では古代から形をかえて脈々と受け継がれ、この石を使った石製品が生活にとけ込んできました。
古墳時代には八女を拠点とした磐井一族独特の「石人石馬」が古墳を囲みました。石刀や石鶏も出土し、岩戸山歴史資料館にて展示。全国から考古学ファンが見学に訪れます。
八女は石灯籠でも有名。古の石工集団が暮らした長野・山内集落には今も石材加工場が連なり、石灯籠が並ぶ道路沿いの光景は八女ならではのものです。市中心部の八女伝統工芸館玄関前には、日本一巨大な石灯籠が座っています。
最初に足場と木枠をつくって、木枠の上に石を組み、最上部の要石(かなめいし)を組み込んだら足場をはずします。
星野川沿いに有名な石橋、「ひふみよ橋」4基が架かる見応えあるエリア。
星野川の上流から順に、一連・二連・三連・四連の石橋が架かっています。
寄口橋(二連橋)の袂には「ほたると石橋の館」があり、石橋やホタルについての資料展示も。
館に隣接する「ホタルと石橋の里公園」に展示された「洗玉橋の親柱と欄干」は必見です。
平成13年5月、洗玉橋の直下から護岸工事の際に石橋の部材が発見されました。勘五郎たちが手がけた洗玉橋の欄干が落下し、川底に眠っていたものです。
石材に刻まれた宝珠の文様。命がけの石橋架設で石工達が祈りを込めた証。
宮ケ原橋のアーチ部石材には、当時の棟梁の名前が刻まれています。
河底に落ちて放置されていた勾欄は、昭和60年に八女市の下川軍次氏により元通りに修復された。
垂直加重を支えるアーチ基礎部は左右岸とも強固な岩盤に巧みに石組みし、どっしりと築かれている。
半円形一重巻き形式のアーチ構造の橋は、心字池の水面に映った逆さ橋とで荘厳な輪環を形作る。
板石を置けば済む程のせせらぎに架かる径間1.3mのこの橋は、「ひと跨ぎ橋」とも呼ばれている。
江戸時代に築かれた花巡廻水路、その中村付近の水路が昭和10年代に隧道化され、霊場へ通じる橋が架けられた。
「ほたると石橋の館」は、石橋やホタルの情報発信基地。
寄口橋(二連)下流の河原にも石段で下りられます。
まつりも開かれ、石橋の周りに大勢の人が集います。
人々の努力で川もきれいに保たれ、初夏にはホタルが乱舞します。
住所:福岡県八女市上陽町北川内589-2
電話:0943-54-2150
時間:10:00~18:00(サマータイムあり)
休館日:毎週水曜日
ライトアップされた600本の桜と石橋。幻想的な風景が浮かび上がります。
上陽を代表するホタルと新茶の祭典。上陽の魅力を丸ごと楽しめます。
淡い光を放ちながらゆらゆらと川面を漂う風景は幽玄です。
上で紹介した石橋のほかにも八女にはたくさんの石橋が残っています。その一部をご紹介。
浦の眼鏡橋 [星野]
一木橋 [星野]
古塚眼鏡橋 [星野]
古賀橋 [上陽]
三川橋 [上陽]
飯塚橋 [上陽]
小原橋 [黒木]
古須崎橋 [黒木]
須崎橋 [黒木]
前川内奥ノ橋 [立花]
前川内中ノ橋 [立花]
前川内橋 [立花]
北田形の宝橋 [八女]
本の眼鏡橋 [八女]
蒲原の眼鏡橋 [八女]
明治時代から大正時代にかけて、八女には石橋がたくさん架けられました。大きな川にも、小さなせせらぎにも。四連の長い橋も、数歩で渡れる小ぶりの橋も。
時を重ね、風雪に耐え、どっしり構え今も48基が残っています。その姿は、道ゆく人をなごませます。